麦焼酎 迎え虎 900ml 小倉城 小笠原藩 麦 焼酎 お酒 晩酌 酒造 年末年始 九州 福岡 お取り寄せ
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    ふくおかけん みやこまち

    福岡県 みやこ町

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    麦特有の香ばしい香りと芳醇な味わいが特徴。

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    小倉城と林龍平酒造場の繋がりは深い。
    慶応2年歳は丙虎、この年は内外多事多難であった。徳川幕府は二次征長の軍を起こし、小倉城はその策戦拠点となり、老中格小笠原壱岐守長行(唐津候世子)が征長の指揮をとった。たまたま14代将軍家茂大阪で病死したため幕軍の歩調を欠き、長軍騎兵隊の進撃の前に城兵は自ら火を放って小倉城を焼いた。(天保八年林龍平酒造場ができた年にこれが起こったのである。以下参照*)これを丙寅(へいいん)の変と云う。星移りり茲に満96年、今年は寅の歳を迎えた。
    昭和34年10月、在りし日の小倉城天守閣が復元し、昭和35年には二期工事の着見櫓が完成した。小倉城の復元は藩政時代の戦争の拠点を再現するのが目的ではない。平和の象徴として、観光資源として、都市美の中核を作るにあたった。その目的は十分果たされつつある。
    その小倉城天守閣に、亡焼した寅歳に因んで虎の大壁画一対を掲額した。雄寅の壁画を「迎え虎」と称し、雌虎の壁画を「送り虎」と名付けた。来場の万客を心から歓迎する意味を含めている。古来神獣として神社仏殿、城壁の魔除けに描かれた例は多いが、小倉城ほどの大壁画があるのを未だ聞かない。
    大壁画の高さ十尺二寸、幅八尺二寸、一面に一頭だけの虎を描いて他に添景物を見ず、非凡の力作である。迎え虎はいずれの位置より見るも真正面に見えるところから、八方睨みの虎とも激称されている。

    【天保8年創業 林酒蔵】
    この頃、日本各地では天候異変が続き、小倉藩内でも飢饉の状態となった。さらに追い討ちをかけるように天保8年正月小倉城本丸、天守閣を火災で焼失させる事件がおこった。当然、藩の財政も苦しく、幕府から藩の窮状には構いなく大規模な河川工事の命が下るなど、大変な時代であったという。
    奇しくも、この小笠原藩小倉城の消失の年に、藩内の中津郡に「林酒蔵場」が誕生したのである。
    藩の威信を賭けて取り組み開拓に及んだ錦原新地(現在の豊津町)の南隣に位置する犀川は自然に囲まれ、殊にミズは、霊峰彦山の水系からの恵みで、小笠原藩内有数の酒蔵の酒処であった。
    幕府の終焉とともに姿を消した小倉城、そして藩の行方を案じつつ幕末を迎えた小笠原藩、その足跡を残すこの地にあって、営々と醸じだされる銘酒をあなたは今このとき、味わうことが出来る。

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    林田酒店(林田興産株式会社)

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